平和の裏側
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」
マリー・アントワネットが言ったという有名な言葉である。この言葉を聞いて日本の多くの人はどのように感じるのだろうか。王妃の悪意を感じる人がいるだろう。王妃の無知を笑う人もいるだろう。あるいは、王妃を憐れむ人もいるかもしれない。だが、振り返って我々はどうだろうか。自分がマリー・アントワネットになっていないと言い切れるだろうか。
開発途上国の人々の姿を見て憐れみのまなざしを投げている我々は、本来彼らの手元に渡すべき食料までも、知らず知らずのうちに取り上げているのではないだろうか。
無論、日本に住む我々は、積極的にそんなことをした覚えはないはずである。しかし、現在の資本主義社会は、見えざる悪徳商人ではあるまいか。その商人は金持ちの顔色を窺い、金持ちが欲しがる物は貧乏人から取り上げてでも用意しようとする性質をもっているのではないか。命を削った1ドルを出して懸命にものを買い、無駄なく消費する貧乏人より、ポケットの隅から100ドルを出して悠々とものを買い、しばしばそのまま忘れ去って腐らせる金持ちに向けてこそ、愛想を振りまくのが現在の社会なのではないだろうか。
我々の消費社会が世界の食糧難を生み、その食糧難が他国の人々を信仰や戦争に駆り立てているのではないかと想像した時、私は慄然とせざるを得ない。日本人は言う。「神様なんていないさ」。それは神にすがらずとも物質的に満たされているからに他ならない。物質的に満たされない人々が精神的な充足を求めるのは代償的行為として自然なことであり、時としてそれは我々にとっての現実以上の確かさをもって現実を支えているのかもしれない。また日本人は言う。「なぜ戦争をするのだろう」。それは戦争以外にもはや生を勝ち取る術をもたないからかもしれない。実は我々が取り上げ、腐らせている食料が、彼らの紛争の原因なのかもしれない。
私は社会主義者ではないが、このような資本主義社会の内包する問題を無視した時、我々が容易に先の王妃へと変貌してしまうのではないかと考えるのである。
私は思う。この日本に生活している以上、飢餓に苦しんでいる人々に対する加害者なのであると。好むと好まざるとに関わらず、不便を感じないこの国に生活している我々は彼の国の人々に対して他人事のような顔をしてはならないはずである。まして、相手を憐れむなどもってのほかではないか。自分の乗った車で轢いた相手を気の毒だと眺めているのにも等しいように思う。
これは免れ得ない資本主義社会における原罪なのかもしれない。
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